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2007/10/29

コメント

コーノ

[いいですね] 日夜「楽譜にない音(勝手に装飾音付けまくってナンボ)」と格闘している者からすれば「そうだろうそうだろう」という感じです。
レコーディング音源てものがあると完コピしたくなるのは人情だし、私も不可能とは知りつつ挑戦してみたりはするのですがクラシカルな世界って完コピが何も偉くない=想像力+創造力が必要、なんですよね。
ましてやジャズなんて言ったらコードと決め部分以外譜面になんにも書いてないのが普通なとこにきて、もっと何もないところから生まれた即興の完コピ目指されて気持ち悪いキース・ジャレットの心情がわからないでもないです。

irregulars

その通りですね。この文面を見ていると、出版に乗り気でないのが明らかです。
例えば1時間余のフリートークを一字一句活字にして、喋りの間や感情の高揚などをそっくりに真似される様に自分でト書きをつけるのはつらい作業かも。
『これらすべてのことをふまえた結論。私はこの『ザ・ケルン・コンサート』を弾こうと思っているすべてのピアニストに最終的な参考資料としてレコードを使うことをお薦めする。――グッド・ラック!

と、楽譜が演奏の完全な再現ではないことを本人が認めています。つまり、楽譜というのはあくまで音の指標であって、生きている音を出すには、演奏者の表現力に委ねられているのでしょうね。想像力+創造力ですね。
装飾音やアーティキュレーションをどう演奏に反映させるか、どう自分なりに音に飾りつけするのかが、いい演奏につながるのでしょう。

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