楽器の試奏でよく聞かれる一言“上手くなったらいい楽器買うよ”…こうおっしゃるお客様の8割はいい楽器を買わない。
なぜなら、上手くなったという基準が曖昧で分かりにくいからだ。練習しても練習しても上達には時間がかかり、ある種の達成感というものがないのでつまらなくなり、そして大概挫折する。音楽教室で発表会というものを必ず行うのはその達成感こそが楽器の上達には大事なことだからです。しかし、ギターなんかを独学でやっていると、そんな機会はなかなかやってこない。そしてまた上手くなったらなんて言っている人は、自分からすれば、それなりにコードなんかも弾けている人ばかり。あと、もう一歩なんだよ…。
多くの人は弾けることと、演奏することを混同していると常々思っている。
弾けること とは即ち間違えずに音を出すこと。テストの答案のようにどれだけ間違わずに音を出せるか…。
演奏するということは、間違えず音を出し、演じて奏でる―音を出すことによって人に思いを伝える(もしくは相手が勝手に何かを受け取ってくれる場合もある)こと、他者がいて初めて演奏というものが成り立つのではないか。
大概の方はこの間違えないように弾くということに心血を注ぎ、聞く側もミスタッチを指摘し、あら捜しをする。まるでショパン・コンクールの審査のようだ。こういうコンクール形式が間違いの元なのか…。
しかし、楽器を演奏するということはエアーギター・チャンピオン=ダイノジの様にたとえギターを持っていなくてもそれっぽく演じ、観客を喜ばせるか、あるいは自分の感情を表現することなのだと自分は思う。
特にポピュラー音楽の場合は自分らしさをいかに表現するかであって上手いとか下手とかという規定など何処にも無い。
以前、チャーがテレビ番組でギターの上手い下手について語っていた。
運動競技だったら、1番早いヤツが1番!高く飛べたヤツが1番!とすぐに勝負がつくけど、ギターが人より0.1秒速く弾けたから偉いとか ―速く弾けりゃぁそりゃすごいけど― 遅いからダメというのは全く違う次元の話で…
と話していたのを、覚えています(うろ覚えですが)。絵で言えば、本物そっくりに描けたヤツが一番偉いということと一緒で、だったら、写真でいいんですよ。きちんと間違えずに弾けるヤツが一番えらいんだったら、機械で演奏させりゃあ一番上手いということになる。でもそうじゃない。
上手くなったらいいのを買う…謙虚な部分なのか、予算以上の楽器に対する丁重な断り方なのかわかりませんが、楽器の演奏がすこし狭い意味で捉えられている気がしてなりません。速く弾けるようになる為にいい楽器を買うんじゃない。いい演奏をする為にいい楽器を買う、もしくは表現したいことをストレートに楽器に伝達するために弾きやすい楽器を買うのです。よりやさしく演出をしたいならやさしい音のでる楽器、激しくかき鳴らしたいなら無骨な音で、ガンガン鳴ってくれる楽器 そこに上手い下手なんて関係ない。勿論安い楽器だって、それが表現として自分に合っていればそれでいいと思います。(少しでも高い楽器を買ってくれた方がウチとしては助かりますけどね。)
英語で演奏を翻訳すると PLAY になります。―遊ぶ・演奏する・演ずる・競技するがこの1つの言葉に含まれていることが、文化的な物の見方の違いを表しているようにも思える。また、ギターの事を日本人は恋人や相棒ように語り(時には抱いて寝たりして…)、海外では AX ―斧・武器という言い方をすることもある。聴いてくれている人のハートを打ち抜くにはライフルかマシンガン、どちらが自分のスタイルに合っているかを選ぶ―そして誰かに対して音楽で何かを伝える為の道具…それが楽器なのです。上手い下手でも何でもいい。もっと気軽に自分を表現してみましょう!下手だからとしり込みしないで、積極的に誰かに聴いてもらうということが上達の最初の一歩だと思うのです。